自分の渇愛と相手の言動との折り合いを必死で着けようとしている。
前はこうしてくれたから今回もそうして欲しい、あるいはもっと上のことをして欲しい、
という心理が潤しようのない渇愛を生み出している。
相手への不相応な期待=渇愛、からの、失望→苦へ
精算年危ない、よく気をつけて。
真に受けるなよ、君。
出来事と感受があるだけ。
我を通して苦しむのは自分。
ウソでもいいから無我でいるべし。
自己嫌悪を虚像で隠しているが、出来事と感受で虚像を壊され、自己嫌悪が顕わになる。
相手の評価に合わせた自分を演じてしまっている。
これじゃあかんのかな、こんなのあかんよね、オドオドビクビク、がすべての原因。
すべて肯定、己はこれでいいのだ、正しいことをやった、なすべき事をなした、失敗もあるがそれも良し。
渇愛ですぐ眼が曇る。渇愛ではなく自愛せよ。自分に十分与えよ。
与えるのは自分。人にもらおうとするな。
まず自分で自分に与え、それから人にも与えよ。与える側の人間になれ。
自愛とは?
自己嫌悪をケアせよ。世話しろ。それは自分の責任。
嫌悪ー自己嫌悪or他人を嫌悪 →いずれも発生元は同じく嫌悪。
自分を嫌悪しないようクセづけることで他人への嫌悪もなくしていく。
渇愛は自己嫌悪から来、渇愛することにより失敗し、さらに自己嫌悪する。
どこへ行くにも、もらいに行くのではなく、与えに行くのだ。だから自分に十分に与えていないと人に与えられない。
他人に満たしてもらおうとするな。満たす側になれ。
己で己を愛せ。己で己を救え。もっと。
己を愛して他人に与える。
ただええ人になるのとは違う。