罪悪感は不要

己自身の慢の心に対して、実は己自身が気づいており、罪悪感を持っているのだ。

妄想で罪悪感を刺激し、いちいち反応している。

心は動いていないか?

動揺していないか?

常に見張れ。

外も見ながら内も見る。

ありのままの自分だと慢が出てきてマズイのではないかという懸念→自分が出せない

己の慢に対する嫌悪、すなわち自己嫌悪。

批判は承認欲の表れ。

妄想して勝手に人の心を探って、勘ぐって、勝手に自分を恥じている。

恥じるところから無理矢理自己弁護が始まる。

しかしそういった行動をとってしまったこと、自分、についてはあきらめよ。

自己弁護も必要なし。

実際の眼は相手を見、心の眼は心臓を見よ。

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